昭和43年、樋口謙太郎(当時九州大学皮膚科学教授)先生を支部長とし、医師向けアレルギー講演会、喘息ならびにアレルギー調査アンケートなどの事業を以てスタートしました。また、45年には福岡において「アレルギー相談室」を開いています。47年には現在の支部活動の主体ともいえる「花粉調査」が国立療養所南福岡名誉院長(当時の病院長)長野準先生を中心に九州各地の大学、国立病院でアレルギー協会の事業として始りました。 さらに北九州地区の大気汚染と喘息についての疫学調査、喘息児サマーキャンプと、この年には九州支部の活動が大きく飛躍しました。

 49年からは医師向けアレルギー講習会を福岡のみでなく九州各県持ち回りとしてその意義を深める方向に進められました。こうした樋口支部長の開発的努力が、53年に交代した長野準支部長によって定着しました。その背景には九州全体でアレルギーに対する医師、研究者の関心が急速に高まり、協会の事業としての研修会に加えて製薬企業が企画するアレルギー講演会、講習会が各地で開催され、研修の場が準備されたことが特記されます。

 長野新支部長のもと、53年役員改選で、吉田彦太郎(長崎大学皮膚科教授)先生と、尾上薫(熊本大学免疫学教授)先生が副支部長に就任し、15名の幹事で体制がひかれました。54年には医師および一般向け啓発活動として九州朝日放送(KBC)でアレルギー談話室が毎週日曜日に放送されるようになり、それは九州各県からのアレルギー専門医、研究者の出演によって行われ、現在すでに1000回を越える伝統的行事になりました。

 長野支部長、西間三馨南福岡病院院長、岸川禮子南福岡病院アレルギー科々長が中心となって全国レベルの花粉飛散調査を行ったことは大きな業績である。この研究に日本アレルギー協会九州支部が関わっていたし、現在もなお花粉飛散、花粉症の調査研究が続けられている。

 1995年(平成7年)吉田彦太郎支部長となったが広島市民病院院長就任のため、同年、石川哮現支部長に移り、2003年に西間三馨支部長へとバトンタッチされ現在に至っている。